はてなブログ

日記…?

森見登美彦と、彼の描く京都。

こんにちは。

投稿を初めて数日にしてネタ切れかもしれません。

男子大学生のふうがです。

 

今回、どんな記事にしようかと考えましたが、

何しろコロナウイルス の影響で大学の授業はすべてオンラインで行われています。

授業が終わるのも6時を過ぎることが多いため、出かけることができない日もあります。

まさに今日がそのような1日で、

金曜日は1限から6限まで全ての授業が入っている日なのですが、

朝は目覚ましをかけ忘れ、11時に起床し(俗に言う絶起。ここまで遅い起床は初めて)、

そこから昼食以外の休憩を挟めず、全ての授業を受講し終わったのが午後6時30分頃でした。

1限から6限まですべての授業を登録していると、絶起したら受講が本当に大変ですね。

コレがリアルタイム授業だったら、と考えると…。

ぞっとしますね。オンライン授業であることに助けられました。

 

来週からは、春学期A/Bモジュールの期末試験も始まります。

単位を獲得すべく、テスト勉強に取り掛かろうと思います。

 

 

さて、今日は作家の「森見登美彦」先生についての記事です。

ここでは敬意を込めて、あえて「登美彦氏」と呼称させていただくこととし、

自分なりの執筆モチベーションを保つため、現在の「ですます調」から

「だ、である」調へと変えさせていただきます。

やはり、自分なりに違和感のない文体の方が書いてて自然ですし、

気持ちを整理し、テクストに表しやすいと思います。

 

 

私は読書家ではない。

このことは、私の身近な人であればよく知っていることだろう。

私のこれまでの経歴上、「読書家の〜〜」というメディアへの紹介を受けたこともあるし、また、おそらくこの記事を読む、「私のことを知っている」というかたの多くが、私に対してそのようなイメージを持っているのではないだろうか。

しかし残念ながら私は、冒頭に述べた通り、読書家ではない。

一ヶ月には一冊読めば良い方であり、読むジャンルも小説がほとんどである。

 

しかし、これは自論であるが、読む本の量と「書籍への愛」については、決して比例関係ではないと考えている。これは決して本を数多く読む人を貶したり、逆に本を全く読まない人を「読書家」と比較して救済するといったような文脈の言葉ではなく、むしろ、「読破数」と「書籍への愛」を切り離して考えたいと思う私の個人的な考えだ。

例えば、本を一年間に300冊読みます、暇さえあれば本を読んでいます、と言う人がいたとする。もちろんこの人の「本に対しての愛」は本物だろう。愛がなければ本を年間300冊も読むことなんて到底できないことだろうから。これとは逆に、普段はあまり本は読みません、でもこの一冊の本はとても好きだし、本を読むこと自体も好きです、と言う人がいたとする。間違いなくこの人のもつ「書籍への愛」は本物である。この場合、「読書への愛」という名称か、「書籍への愛」と言う名称で彼の対テクスト遍歴を表現するかは微妙なところであるが、書籍を認識する行為は基本的には「読書」と呼べるため、ここでは「読書への愛」と言う名称で統一したいと思う。

一方(これが言及に値するかは悩ましいが)、私は本を全く読まない、面白さがあまりわからず、それに使う時間がもったいない、という人、または、そんなに読むこと自体は好きじゃないが、世間のことを知るため、世間体のため、あるいは教養のために(もしかしたら周囲から知的であるという認識を生みたいがために好きでもない読書をする人もいるかもしれない)、仕方なく読書をしている、というパターンの人もいる。これらのパターンの人は、例を挙げた前者はもちろん読書/書籍への愛はないだろうし、後者は行為の動機は素晴らしいが、しかし「読書への愛情」の有無の観点からすれば「読書への愛」がある行為とは言えないだろう。先ほども述べたようにこれらは特に言及に値することではないため、話を元の話題に戻す。

さて、話が少しずれたが、結局今言ったことをまとめると、「量を読む/読まない」に関係せず、本が好きな人は好きであるということ、そうでない人はそうではない、というとても当たり前で普遍的なことである。

そして先ほども述べた通り私自身は「本はそれほどまでに読まないが、読書や書籍に対する愛情を持つ者」だという分類になる、と自覚している。

 

さて、前置きがなかなか長くなってしまったが、ここからが本題である。

私が高校生時代に好んで読んでいた作品は、森見登美彦氏によって書かれたものが多い。

この記事の中で登美彦氏個人について多くの言及をすることは基本的にしないが、私は彼の書く(彼の文章は「書く」よりむしろ「描く」や「描き出す」と言うのが正しいのかもしれない)文章がとても好きだ。その理由を今日は思いつくままに書いてみたい。

「多くの言及はしない」と前置きしたばかりだが、登美彦氏についての知識が何もないという読者の方もいるはずなので経歴を少しだけ紹介する。1979年生まれの41歳(2020年現在)であり、京都大学出身の作家である。代表作に「ペンギン・ハイウェイ」や「四畳半神話大系」、「太陽の塔」、「夜は短し歩けよ乙女」などが挙げられる。

ここでなぜ登美彦氏についての説明を附したのかというと、今回は特定の登美彦氏の著作を紹介するための記事ではなく、「登美彦氏と作品中の京都について」について書いた文章だからだ。ちなみに今の段階で既に記事は2000文字を超えているが、ここまでが前置きである。

 

登美彦氏の作品には大きな特徴が数多く存在する。それをすべて列挙することはここではしないが、いくつかを挙げるとするならば「登場人物の狂いよう」「物語の舞台が京都」「主人公やそれを取り巻く仲間(そう呼称して良いものかは悩ましい)たちは怠惰な大学生」などが挙げられる。

一言で表せば「京都を舞台にした大学生の物語」である。これだけならばどこにでもそのような物語は存在するし、特に登美彦氏の物語が優れている理由にはならない。もっと言えば、多くの登場人物は腐敗しており、普通の生活を送る者からすればむしろ敬遠されるべき世界観である。それなのになぜ、(私を含めた)人々は登美彦氏の作品を読み続けるのだろうか。

 

このことに答えを出すために重要なことは「登場人物たち」「舞台、京都の妖しさ」「読者による登場人物への自己投影」があるだろう。

まず「登場人物たち」の要因である。先ほども述べた通り登場人物は京都の、もっと言うと京都大学に在学する大学生である。これは恐らく登美彦氏の大学時代の実体験が反映されたものも多いのだと思う。氏の小説に登場する人物たちはほとんどの場合、狂っている。留年年数の限界を知るため、社会的モラトリアムの延長のためにひたすらに単位取得を拒む者、最高傑作であると自賛する小説を常に執筆中であり、後輩を従え、四畳半を自らの城とする者、学祭で炬燵とともに学内を縦横無尽する集団、図書館の治安を守るために結成された武力集団である図書館警察、などなど。あげていけばキリがなくなる。自分の周囲に彼らがいれば暇ができることはないであろうが、それと同時に安寧も捨てることとなろう。

ここでともすれば忘れてしまうのが、彼らは「京都大学」の学生なのである。言い換えるとするならば、日本の「智」の最頂点に位置する学生である。「智」の集団が作り出す様々な「狂いきった行動」というギャップ。頭脳は非常に優秀だが、狂いきっているというこの登美彦氏の作中人物のような人間が好きだという人は数多くいるのではないだろうか。俗に言う「ギャップ萌え」である。いや、もしかしたら違うかもしれない。どのような感想を彼らに抱くかは説明ができないし恐らく説明の必要もないのだろうが、とにかく、彼らは「愛すべき存在」であるわけだ。

 

加えて、彼らのような優秀な(しかしどうしようもなく腐敗し、狂いきった)人物が見せる怠惰な様子は、人々をさらに惹きつける。自分とは全く違う境遇の彼らの行動に、自分でも気づかない間に共感が芽生えるのだ。これが「読者による登場人物への自己投影」という観点であり、シンプルだがこの要素は物語の「傑作/駄作」を決定づける点では大きな役割を果たす、非常に重要な要素である。

 

そして、順番が前後したが、3つ目の大きな要素が「舞台、京都の妖しさ」と言うことになると思う。

登美彦氏の物語はその多くが京都を舞台にしていると言うことは先述した通りである。彼らは古都・京都の中で四畳半に籠ったり、百物語を開いたり、達磨を追いかけたり、友を見捨てるために走ったり、鴨川デルタで集会をしたりする。描かれる彼らの腐敗した日常は常に京都と在り、逆説的に、京都なしでは彼らの日常を描けば、それは恐らく全く違う空気感の物語になるだろう。この「京都の空気感」、つまり「妖しさ」は、登美彦氏の物語の輪郭を形作る上で非常に重要な役割を担っていることは言うまでもない。

古都・京都。今でこそ「古都」などと言うような呼ばれ方をしているが、京都は常に歴史の中心であった。平城京平安京も京都に置かれ、織田信長も京都を目指し、進軍した。「京都」と聞けば、誰もがまず連想するのは「神社」や「寺」、そうでなくとも「歴史」や「伝統」だろう。京都とは日本人の多くにとって、特別な場所なのである。

古い歴史のある京都だからこそ、京都にしかない魅力も当然、生まれる。誰しもが京都に惹かれ、行ってみたい、との憧憬を抱いたことのある人も多いだろう。この魅力、この場合は京都に根付く一種の「力」や「神話」の類いのものが「妖しさ」と表現されている。古来から培われてきた妖しさが、京都という街には確かに存在する。

彼らは、京都の街並みの中で、不思議なことを体験する。しかしこれはあまりに突飛すぎる、現実離れしすぎたようなイベントではなく、「京都でなら、こんな不思議なことが起こっても、なんの不思議もないよな」と自然と思えるような、あくまでも日常的な出来事の少しだけ先にあるような事なのだ。ただ文字を読んでいるだけなのに、京都という街の美しさや神秘を、まるで自分が実際に京都へ赴き、その不思議な出来事を体験したかのような感覚になってしまうのだ。

読後に、今までいた「森見登美彦」の世界があまりにも楽しかったな、という満足感、今自分の生きている「現実」の世界に帰ってきてしまったという少しの悲しさ、そして一度は自分も京都に行き、森見登美彦の描く、そして彼らの住む「京都」を自分の目で、鼻で、手で、肌で、感じてみたい。そんなことを心から感じることができる。

まるで、旅行から帰ってきたかのような感覚になってしまうのだ。

その参道の西にある流鏑馬用の馬場には、異様な気配が立ち込めている。沢山の人の気配があるのに賑やかではない。あたりを憚るような囁き声がして、あたかも妖怪の集会のようだ。(森見登美彦夜は短し歩けよ乙女』)

これは一例だが、登美彦氏が『夜は短し歩けよ乙女』という書籍の中で、京都の古本屋がある街の様子を描いた一文である。 この一文からでも、京都の街にある妖しさを感じ取ってもらえるだろう。もちろん、「妖しさ」を余すことなく表現する登美彦氏の知性や文章力が根底にあることは大前提であるが、京都の街という特別な場所が、怠惰で腐敗しきっているはずの彼らの行動を一種「神秘的」で「輝いた」ものにしているのではないだろうか。

これらの妖しさや特別感を、たとえば他の地域や大学を用いた描写で醸し出せるのか、と言うことを考えてみた。私の中での結論は、恐らく無理だ、である。誤解を生まないように言っておくと、それぞれの地域にはそれぞれの地域にしかない特色や美しさ、魅力があり、決して他の地域を貶しているわけではない。しかし、だからこそ、京都は京都にしかない美しさや魅力があり、その魅力を他の地域では描くことができない、ということだ。

例えば、私の通う筑波大学で例えてみる。恐らく筑波大学にも、(愛すべき存在としての)狂った者は存在するだろう。しかし、この地域特有の「閉鎖的な環境」が起因して京都ほどの風流さは出ないであろう(繰り返しだが、つくばにはつくばなりの良さはある。)やはり登美彦氏の作品の魅力がこれまでに大きいことに関して、氏の学生時代を彩った京都という街はあまりにも作品にとって特別だし、他に代え難いものがある。「登美彦氏」が「京都」を題材として選んだからこそ、互いの魅力を十分に発揮することができ、これほどまでに妖しさと魅力を兼ね備える作品(個人的には、彼の物語は芸術作品と呼ぶにふさわしいと感じている)が生み出されたのだろう。

 

彼の描く京都は常に美しく、輝き、魅力を我々に運んでくれる。

いつかは私自身も彼の描く「京都」へと足を運んでみたい。

美しく描かれる宵山や鴨川デルタや百万遍交差点、琵琶湖疎水、大文字山へと足を運び、実際にその場所を感じてみたい