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日記…?

「昭和40年、 愛する人のもとへ」

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こんにちは。

オンライン授業の春学期もいよいよ終盤に差し掛かりました。

男子大学生のふうがです。

 

今日は日曜日でした。

学生の時間や体力、睡眠時間を削りに削った筑波大学の「土曜授業」も昨日で終わりを迎えました。来週から学生はそれまで当たり前に享受していた「週休二日」を大学当局から返還されるのです。

これはよく言われることですが、「当たり前のこと」は、それが「当たり前」であるうちはその大切さを実感できません。それを失って初めて、人はそのありがたさを知ることができるのです。例えば、インフルエンザや病気を患った時に「健康が一番だ」と感じること。これもまた「当たり前」のありがたさの再認識といえるでしょう。

来週からは土曜日という「当たり前」の概念を噛みしめ、土曜の休みを身を以て感じたいと思います(課題や期末レポのため、休みが取れるかどうかは不透明ですが)。

 

さて、先ほども書きましたが今日は日曜日でした。

久々のしっかりした休みです。有意義に過ごそうと友人と鹿児島市内に出かけました。

昼食に「麺屋 ばってん親父」というラーメン屋に行き(このラーメンは近日記事にします)

その後、アミュプラザ内にある無印良品ユニクロ島村楽器で時間を過ごしました(これもまた後日、記事にします)。

全ての日程が終了し、それぞれ自宅に帰ろうと電車に搭乗しました。

私は南薩地域に鹿児島での自宅があるので、鹿児島中央駅から指宿枕崎線に乗り、自宅の最寄駅へと向かいました。

 

電車の出発は18時27分で、私がその電車に乗り込んだのは18時11分でした。

駅を出発するまでに少し時間があったので、iPhoneの通知を一通り確認し、メッセージには返信を行い、鞄の中に財布があるかどうか確認し、窓の外にある木や石や草を眺めていました。

しかし、しばらくするとそんなことにも飽きてくるものです。私は車内をひととおり見渡し、時計を目視し、出発までにはまだ10分以上待たないといけないことを確認しました。

流石に少し長く、もう一度窓の外を眺めようとした時に、上に掲載してある写真の文字が窓サッシに刻まれているのが目に入りました。

 

「昭和40年 愛する人のもとへ」

 

昭和40年を西暦に直すと、1965年。この頃は鉄道は国鉄が運営しており、その主体がJRへと切り替わったのは1987年の4月1日。50年以上前の落書きとみられるものが平成を超え、令和へと残り続けているのです。

その日も、電車は走っていたのでしょう。誰かの通勤や通学を支える足となり、正月や8月のお盆の時期になると帰省客で駅も電車もごった返す。そんな中、定刻通りに道を走り、とある誰かをその人の目指すどこかへ送り届けていたのでしょう。

そんな中には、妻や夫を持つ人もいたのでしょうし、現在と変わらず、誰かを大切に思う人ももちろんいたのだと思います。「愛する人のもとへ」向かって電車に乗った人もいたのです。電車は、誰かの青春も一緒に乗せて走り続けていたのです。

 

かつて誰かの青春を乗せて走っていた電車は、平成を超え、令和の現在まで立派に走り続けています。あの日の青春と現代、令和時代の人々の思いや体を乗せ、線路を走り続けているのです。

 

素敵ですよね。

いつか誰かの青春を乗せて走った電車は、令和の現在も人々を乗せ、線路を走っているのです。

愛する人のもとへ」。

 

 

・・・と思っていたのですが、後から調べたら、現在指宿枕崎線で運用されている車体は、いずれも1977年以降に製造された電車のようです。なので、この素敵なメッセージは1965年時点での記述ではないことがわかります。

では、「昭和40年」とはなんなのか、それから、かなり昔の出来事をなぜわざわざサッシに彫ったのか。とても気になりますね。

 

 

 

 

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